2010年9月2日木曜日

0829 「鶏を食べるまで」

29日(日)の総合コース実習では、鶏の「屠蓄」と「精肉作業」を行いました。参加者はちょうど10名(+子どもが2人お手伝い)。メノビレッジさんから、卵をあまり産まなくなった鶏を10羽いただき、生きた鶏を食べられる「お肉」の状態にするまでを体験したのです。


「是非体験してみたかった」という方から、できるかどうか自信がなく「参加すること自体迷った」という方、「見るだけにしようかとも思った」という方など思いは様々でしたが、結局全員がすべての作業を行うことができました。

1羽目の首を落とす瞬間には、当然、かなりの緊張感が参加者を包みました。吹き出す血、なかなか息絶えずに動き続ける鶏の体。首を落とす役と鶏を押さえる役が順にまわってくるのですが、押さえている間の鶏の温かさや筋肉の動き、悲鳴など、まさに“生きているものの命を奪った上で私たちは日々食べている”という当たり前の(けれども日常では触れずに済ましている)現実をあらためて突きつけられたように思います。 思わず祈ったり、「ごめんなさい」という言葉が口をついて出た方もいましたが、生き物の命を絶つ場面では自然な行為だと思いました。
一方で、数をこなすうちに慣れてくるという感想もありました。

血抜きした鶏を熱湯につけて、羽をむしります。その段階で“鶏の死体”は、普段見覚えのある“鶏肉”に近づきました。その後の体から内臓を取り出す作業は、体内の仕組みを学ぶ貴重な機会でもありました。そして、最後はそれを“もも肉”、“胸肉”、“ササミ”、“手羽”、“ガラ”に分けるのですが、これがなかなか難しく、上手に刃物を入れないとキレイなお肉にはなりません。うまくできずに肉がボロボロになってしまった方もいたようです。それでもなんとか精肉まで行い、手羽を燻製にして早速みんなでいただきました。


作業後に行った感想のシェアリングでは、「初めはかなり抵抗があったけれど、案外できるものだと思った」という意見が多く、「作業しながらだんだん“自然なことをしている”感覚になった」という方もいました。また、一同に「屠蓄というのが大変な仕事であり、高度な技術で行われているのだと実感した」と“仕事の技術”に視点が向いたのも興味深いところです。

まずは“知り”、体験を通して“実感する”。この積み重ねが大切だとあらためて感じた屠蓄実習でした。 ともかく、参加した全員が、“食べるために殺すことは決して残酷なことでも気持ち悪いことでもない”、と実感できたのが良かったと思います。
「こんなに大変な作業を伴うなら肉はそんなに食べなくていい」「捨てたり残したりすることはできない」「一般に販売されている肉は安易に手に入り過ぎ」という感想もありました。

この体験が日常にどんな変化をもたらすのでしょうか。コモンハウスでは、今回の実習のおかげで、珍しく“お肉三昧”の毎日です。たくさん卵を産み続けた高齢の鶏さんなので肉はやや(いやかなり)硬いのですが、ありがたく美味しくいただいています。

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